もし高校野球のマネージャーがドラッカーだったら(短編小説)


自分が得意だと思っていることに、溺れるな。物事の”本質”を鋭く透察する心を持て

ホワイトボードの前で熱弁をふるう白人の老紳士。

ユニフォームを着た野球部の面々が車座になって話に聞き入っている。

その半円の中心、老紳士の目の前に座っているふたり。頭頂部が寂しくなりつつあるのが野球部顧問の勝間先生、完全に砂漠と化したのが校長先生だ。

顧問はわかるが、なぜ校長まで?

なんでも老紳士が、

軍隊の指揮者は、現場からのリポートに依存することなく、自分で現場へ出かけて行き、自分の目でみる

と、のたまって校長を引きずり出してきたらしい。

平気な顔で校長までひっぱり出す彼は何者なのか?

彼の現在の肩書きは野球部マネージャーだ。

そしてフランクフルト大学法学博士号であり、元ゼネラル・モータースの経営コンサルタント。同時に世界的なベストセラーの著者であり、世界中の経営者の教師である。

そう、彼はかのピーター・ドラッカーなのだ。

どうしてドラッカー氏がうちの学校にいるのか。私も未だに信じられないけど、こんな経緯があってのことだ。

「あーあ、うちのマネージャーもこれくらいしっかりしてたらなあ」

そういって勝間先生が置いたのはベストセラー「もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの『マネジメント』を読んだら」だった。

(顧問だったらマネージャーなんかに頼るんじゃないわよ)

この台詞を聞かされたのは一体何回目だろう、内心で毒づきながら、「あははー、そうですねー、すいませんねー」なんて聞き流すふりをしていたけれど、負けず嫌いの私はこっそりドラッカーの著書を全巻読破し、研究していた。

邦訳のない講義録さえ取り寄せ、ドラッカーの弟子や研究者の本まで内外を問わず読み込んでいたのだ。

そして結論。

野球に役立つ要素は欠片もない。

長島終身名誉監督の「バットをね、こうね、キュッとコンパクトに構えてボールが来たらヒュッと振る」みたいなアドバイスの方が100倍役に立つ。間違いなく。

そこに勝間先生のこの言葉だ。私はキレた。態度には出さないがぶちキレた。レントゲンを撮ったら、きっと大腸と小腸と胃と食道の区別がつかないくらい内臓が煮えくり返っていただろう。

その怒りを手紙に込めたのだ。

大学ノート7冊にドラッカー氏の理論がいかに野球において役に立たないかを論じ、小包で出版社に送りつけてやった。

単なる八つ当たり、青春の1ページ。そんなつもりだったのに、どうまかり間違ったのか小包は本人の手元に届き、ドラッカー大先生がうちの学校の野球部マネージャーとしてやってきた。そういうわけなのだ。

「し、しかし我が校の野球部は甲子園出場10回、準優勝2回の伝統ある古豪なんですぞ!」

「そ、そうです。それに甲子園こそ高校球児の夢! 最高の目標なんです!」

世界が認める偉人を目の前に、校長先生と勝間先生が異議を唱える。声がすっかり震えているが、それでも反論するのは教え子たちの目の前で威厳を損なうわけにはいかないと思ったからだろう。

今日、売れている製品が明日も売れるという保証はない。企業は、絶えず明日を担う製品をつくり出さねばならない

(これは高校の部活動で、企業活動じゃないんだけど……)

朗々たる声はそんなツッコミを返す余裕を与えてくれない。いや、もし口が開けたとしても、返す刀で切り伏せられるに違いない。そんな殺気と迫力に満ちた声だ。

「それはつまり、目標を変えるべきだって意味ですか?」

2年でキャプテンの白井君が手を上げて質問した。ドラッカー氏は深く、ゆっくりとうなずく。

「でも」と白井君が続ける。

「うぬぼれるつもりはありませんが、県内にぼくの球をまともにミートできる打者はいません! 打撃だって、去年の大会成績では6割を超えています。今年こそ、今年こそはみんなを甲子園に連れて行けます!」

白井君の言葉は嘘じゃない。それどころかまだ謙遜があるかもしれない。

白井君はリトルリーグで世界一に2度輝いている。中学2年、3年生といずれもエースで四番。大人みたいな体格の海外の選手をことごとくなぎ倒した文字通りの怪物である。

全国どころか世界中からスカウトが来たらしいが、それを振り切ってうちの高校に進学した。その理由はお父さんが果たせなかった夢、「甲子園優勝」を果たすこと。

そう、うちの野球部の栄光ある「甲子園準優勝2回」は、白井君のお父さんが20年前にエースとして成し遂げた偉業だったらしい。

白井君の悲痛な訴えに、ドラッカー氏は淡々と返した。

万能選手はなかなかいない

白井君は何かを言おうとして口をぱくぱくと動かした。でも、言葉は出なかった。

そうなんだ、ドラッカー氏の言う通り、白井君も万能じゃない。リトルリーグ時代から続く連投に次ぐ連投で肩に故障を抱えている。1試合ならともかく、連戦での完投を強いられる大会で、白井君に頼りきった戦いはできっこない。去年は県大会決勝で白井君が投げられなくなり、あっさりと負けてしまったんだ。

過去から脱却せよ

ドラッカー氏が続ける。だが、今回は白井君だけにではなく、全員に投げかけるような調子だ。

問題解決を図るよりも、新しい機会に着目して創造せよ

白井君の肩はどうしたって治せない。その問題に拘泥することが間違ってるのはわかる。でも、ドラッカー氏のいう“それ”が本当に新しい機会なんだろうか。

企業経営のエッセンスは、何かに『卓越』することと、『決断』することである

(だから企業経営じゃなくて部活動だっつーの)

そんなツッコミはもう思い浮かびもしなかった。

我々が行動可能なのは現在であり、また未来のみである

いままでこうだったからこうしよう。そんな発想はもう無意味なんだ。いまできることの中で最良の選択肢を選ばなくちゃいけないんだ。

マーケティングの究極の目的とはセリングを不要とすることである

ここでいう“セリング”とは練習、つまり“野球”で勝つための努力全般を指すんだろう。

事業とは市場創造の連続である

そうだ、甲子園を目指して戦うんじゃない。それは泥沼のレッドオーシャンだ。私たちは甲子園に代わる新しい目標を見つけなくちゃいけないんだ!

しばらく間があって、ドラッカー氏はこう言った。

昨日を捨てよ

この一言で、私たちの心は決まった。

かくして、我が伝統の野球部は全国初の「三角ベース部」として生まれ変わったのである。

わずか一校からはじまったこの部活動が、やがて全国の高校部活動を席巻し、ついにはプロ球界まで巻き込んだ大騒動に発展するだなんて誰も夢にも思わなかったけど、それはまた別の話なんだ。

* * *

マネージャーのドラッカーさんの言葉は大体こちらから引用しました。

参考: P.F.ドラッカー名言録

「もしドラ」は読んだことありません。

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