セミプロに駆逐されるプロにはもはや蝉並みの余命しか残されていないのではないか


こんな記事を読んだ。

セミプロに駆逐されるプロという構図

論旨としては、セミプロの市場参加によって原稿料のダンピング(※)が進み、良質なコンテンツを提供するプロまでが割りを食って、ついには「質の高いプロ」がいなくなるのでは、という話。

※ダンピングとは不当廉売という意味ですが、別にセミプロが不当な安売りをしているわけではないので、低価格化という表現が適切だと思うけれども。

さて、ライターというと何やらアーティスティックでクリエイティブで神聖なお仕事だというイメージがあるので、「プロフェッショナルがいなくなるなんて大変だ!」みたいな議論も起きがちなんですけれども、それは間違いだと思います。

まず、ライターという仕事を特別視するのをやめて、文章という財を作る製造メーカーだと考えてみましょう。

これまでのプロはいわばパナソニックやシャープのような国内テレビメーカーです。彼らは高いコストをかけて先端技術の粋を尽くした製品を作り、高い値段で販売してきました。彼らの作る製品は紛れもなく高品質で、世界でも屈指のレベルです。

さて、そこにサムスンやLGといった新興のプレーヤーが参入してきました。彼らが作る製品は、国内メーカーの最新モデルには及ばないものの、そこそこの品質があり、素人がぱっと見比べただけでは区別がつきません。そして、価格は明らかにサムスンやLGの方が安いのです。

さてさて、やがて市場はサムスンやLGに席巻されはじめます。

そして国内メーカーは叫ぶのです。

「このままでは良質な製品を作る我々プロが駆逐されてしまう!」

一方、東芝や日立はコンシューマー製品から足を洗い、重電やインフラで繁栄を築いておりましたとさ。

電機業界に例えてみると、セミプロに駆逐されてしまうような製品(文章)を作っているプロが市場から退場を迫られたり、買い叩かれるのは当然のことだと思えてきませんか?

プロたるもの、セミプロやアマチュアと同じ土俵で戦ってはいけないでしょう。

そもそも、セミプロの供給で足りるのであれば、その分野においてプロは必要とされていません。

リンク先でも、『駆逐されてしまうようなコンテンツは所詮それまでのものだという覚めた見方もあるかもしれないが。』と書いてありますけれど、そのとおり、所詮それまでのものなんですよ。

セミプロの書いている文章はいわば趣味の延長で、対価を得ることを目的としていないために低価格で供給されるわけですが、その程度のものに駆逐されてしまうプロってどうなんでしょう?

ダンピングの逆で、供給過小な市場で構築されたカルテルに守られて、いままで不当に高い報酬を受け取っていたのだとも考えられるのではないでしょうか。

プロフェッショナルであれば、セミプロには真似のできない水準の仕事ができると思いますし、またセミプロ以上の対価を受け取りたいのであればそうあるべきです。

周到な調査をしたり、一次ソースに取材をしたり、膨大な資料を調べ上げたりといった作業は非専業のセミプロには難しく、専業のプロだからこそできる仕事です。(セミプロでもできる人は稀にいるでしょうが、数が少ないので市場への影響はわずかです。)

逆に、ニュースを見て論評したり、誰でも簡単に手に入る資料を元に記事を書くような、セミプロにも簡単に真似ができる仕事しかできない人はもうライターとして食べていくのはどんどん難しくなっていくでしょう。いま書いているこの記事もまさにその類ですね。

そんな記事しか書けない自称プロには、もはや蝉並みの余命しか残されていないのではないかと思います。

最後に、元記事の問いに私なりに答えてみます。

大量のセミプロが存在する市場。その先には何があるのだろう。

大量のコンテンツが自由な市場に供給されることで、ダンピングもカルテルもない市場メカニズムに則った正当な値付けが行われる、それぞれが実力相応の対価を受け取れる健全な市場が形成されるでしょう。

セミプロによる低価格でそこそこ高品質なコンテンツの供給が市場を活性化する(※)ことこそあれ、衰退を招くことはないと思います。

※無料ブログやWeb小説、コミック、果ては2chのスレから書籍化や映画化を果たしたものは数多くありますよね。

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セミプロに駆逐されるプロにはもはや蝉並みの余命しか残されていないのではないか” への1件のコメント

  1. ”文章という財を作る製造メーカー”という表現、しっくりきました。

    供給過多な時代だからこそ、共感を生む、ストーリーのある製品(文章)をつくっていきたいと思います。

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