“伊藤計劃以後”とされた「ヨハネスブルグの天使たち(宮内 悠介)」と「know(野崎まど)」の感想


34歳の若さでなくなった夭折の天才伊藤計劃(けいかく)。数少ない彼の作品の2つ、『虐殺器官』と『ハーモニー』がアニメ映画化されるそうです。

伊藤計劃プロジェクト
伊藤計劃のSF小説「虐殺器官」「ハーモニー」の劇場アニメ化が決定(Gigazine)

どちらの作品もとてもおもしろかったので公開されたらぜひ劇場に足を運びたいと思います。

ところで、こうした動きに乗って伊藤計劃がらみのマーケティングが盛んな模様。『ポストヒューマニティーズ――伊藤計劃以後のSF』という批評本まで出たそうです。これに対し、ネットの一部でちょっとした議論が巻き起こっていました。

伊藤計劃はキリストを超えた。わけあるか。くたばれ。(はてな匿名ダイアリー)
伊藤計劃以後とは何か?(the deconstruKction of right)※上記批評本の著者のひとり藤田直哉氏のブログの模様
「伊藤計劃以後」の耐えられない軽さ(脳髄にアイスピック)

個人的には、虐殺器官もハーモニーもおもしろいけど歴史に名を残すような作品ではないと感じていたので、“伊藤計劃以後”という言葉にはクエスチョンマークが浮かびます。ちなみに、伊藤計劃以後の変化は以下にまとめられる模様です。

1、読者の質(プロパーSFファン以外にも読まれるようになった)
2、内容が変わった
・ネットワークで接続された存在であるというポストヒューマンのテーマ
・脳科学の応用
・管理社会などのテーマの前景化。
・意識と社会の関係
3、ソーシャルネットワーク(含む:資本、ミーム、メディアミックス、ネット)におけるノードとしての作品(作品を巡る環境、環境への自覚性)
引用:伊藤計劃以後とは何か?

お、おう……。

いや、こういう小難しいことを言い出すからSFって初心者を呼び込めてないのでは。伊藤計劃で広がった読者を捕まえ、SFファンをもっと増やしていきたいって意図から“伊藤計劃以後”なんて言葉をひねり出したんだと思うのだけれど、余計に敷居が高くなっちゃってないですかね。

もっとシンプルに、「伊藤計劃が好きな人が楽しめそうな作品が増えてきてるんだよ。よかったら読んでね!」みたいな推し方のほうがよい気がするんですが。それじゃ格好がつかないからダメなのかなあ。

とはいえ、影響を受けたとされる作品も読まずに語るのもアレだと思ったので、とりあえず「伊藤計劃以後とは何か?」で紹介されていた“伊藤計劃以後”とされる作品のうち、興味がわいた2つを読んでみました。以下は感想です。

「ヨハネスブルグの天使たち(宮内 悠介)」の感想

ヨハネスブルグに住む戦災孤児のスティーブとシェリルは、見捨てられた耐久試験場で何年も落下を続ける日本製のホビーロボット・DX9の一体を捕獲しようとするが──泥沼の内戦が続くアフリカの果てで、生き延びる道を模索する少年少女の行く末を描いた表題作、9・11テロの悪夢が甦る「ロワーサイドの幽霊たち」、アフガニスタンを放浪する日本人が“密室殺人”の謎を追う「ジャララバードの兵士たち」など、国境を超えて普及した日本製の玩具人形を媒介に人間の業と本質に迫り、国家・民族・宗教・戦争・言語の意味を問い直す連作5篇。ポスト伊藤計劃と目される気鋭の新人によるデビュー第2作

純文学を志向しているのか文体も内容も小難しいかんじ。デビュー作の『盤上の夜』もそんな作品だったし、これが作風なのでしょう。私はそれなりに楽しく読んだけれど、誰かにオススメできるかといったら厳しい。とくにSF初心者でエンタメを求めている層、すなわち虐殺器官が好きな層には合わないんじゃないでしょうか。舞台設定や描写など表面は伊藤計劃を連想させられるけれど、その実ぜんぜん違う性質の作品だと思いました。

『ヨハネスブルグの天使たち』は直木賞の候補にも上がったそうですが、選評の「とても読みづらい」「二度読み直したが、やはりよくわからなかった」「理解不能というのが本音」というのが大半の読者の正直な感想なのではないですかね。

とかくSFマニアは難解な作品を持ち上げがちで、「SFの名作10選」みたいな記事には『1984(ジョージ・オーウェル)』や『星を継ぐもの(ジェイムス・P・ホーガン)』あたりが必ず入っている。どちらもSF入門としては難しいし、地味な作品です。これを最初に手に取ったら、「SFって難しくてつまらない」って思っちゃうんじゃないでしょうか。ホント、初心者に優しくない業界(?)です。

「know(野崎まど)」の感想

超情報化対策として、人造の脳葉“電子葉”の移植が義務化された2081年の日本・京都。情報庁で働く官僚の御野・連レルは、情報素子のコードのなかに恩師であり現在は行方不明の研究者、道終・常イチが残した暗号を発見する。その“啓示”に誘われた先で待っていたのは、ひとりの少女だった。道終の真意もわからぬまま、御野は「すべてを知る」ため彼女と行動をともにする。それは、世界が変わる4日間の始まりだった―

量子コンピューターを脳に仕込んだスーパーハッカー女子中学生が国家機関を相手取り無双する話です。強くてかわいい美少女。大正義です。テンポがよく、スカッと楽しめますし、オチにもニヤリとさせられました。かなり好きな作品。

しかし、残念なところは優秀な官僚であるはずの主人公が途中からすっかりリアクション役になってしまっていること。グラップラー刃牙でいうとの本部以蔵と化している。切ない。もっとちゃんと活躍させてあげないと、ヒロインが惹かれる理由がなくて終盤の展開がご都合主義的に感じられてしまう。とはいえその甘さがテンポのよさにもなっているため、変に緻密しようとすると作品のよさも殺されそうな予感。『虐殺器官』もストーリーより世界観重視だし、そういう意味では“伊藤計劃以後”って表現がしっくりくる……のかなあ。

というわけで、2作読んでみたんですがやはり“伊藤計劃以後”って何なのかよくわかりませんでした。

政治が絡んだディストピアよりの近未来SFで、バトルとナイーブな心理描写があればそれでOKなのかしらん。うーん、そんな作品なら昔からたくさんあると思うのだけれど。

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